昨日娘が誕生日を迎え6歳になった。
そして今日が最後の幼稚園。
明日からはもう小学生として、学童に行き始める。
私にとって大きな出来事が一気にめまぐるしくきて、昨晩は娘を寝かしつけた後、感情が溢れて大泣きしてしまった。
この滝の様な涙の正体は一体なんだろう?と考えると
「まだ卒園したくないっ!」だった笑
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一番大きいのは寂しい気持ち。
毎年毎年子供の誕生日が嬉しい反面とても寂しい。
もうこんなに大きくなってしまった、すぐに大人になって巣立っていってしまう。
そう思うと寂しくてならない。
でも本当にあっという間だ。
もう幼稚園、もう小学生、そう言っている間にも1秒だって子供の成長は止まらない。
同時に自分も老いていく。
どれだけ抱きしめても足りない。

幼稚園と離れる寂しさ
私にとってシュタイナー教育に触れられた事が、癒しそのものだった。
年少さんの頃は、先生の手遊びの歌を聞くだけで涙が止まらなかった。
心の中の幼き自分が、やっと温かく守ってもらえる場所に出会えた、氷が溶けていく様な気持ちになった。
娘の描く絵、娘が口ずさむ歌、劇の練習、わらべ歌。
娘を通していつも癒され、まるで私もあの温かい園舎で過ごす子供の様に無垢な気持ちになれた。

兄弟を作ってあげられなかった事の悲しさ。
下の子がいたらもっと長く幼稚園に行けたのに。
たった3年なんて短すぎる。
「ママに赤ちゃんを産んで欲しい」と言われる時の切なさ、何も動けなかった事への後悔。
寂しがり屋でお世話が大好きな娘を、一人っ子にしてしまった事への申し訳なさ。

と同時に、たった一人でも子供がいる事への感謝。
あなたがいてくれる事で、私はこんなにも幸せになり、素晴らしい世界に出会えた。
どれだけ沢山の幸せをくれるのだろう?
たった一人なのに、その存在はとてつもなく大きく尊い。

これからへの不安
学年で一番誕生日が遅く、幼い娘。
「卒園したくない」と泣く娘。
せめてあと1年、夢の中に居させてあげたかった。
産む時に「親が歳なんだから、1年でも早い方がいい」と看護師さんに言われたな。
あの時、陣痛促進剤を打たなければ、4月生まれになれたかもしれない。
まだ幼稚園に居られたかも知れない。
そんな事まで思い出している自分にふと気がつく。

自分を慰めて、認めて、抱きしめてあげたい気持ち。
離婚してからのこの3年間。
子供に自分の背中を見せれる親になりたいと、自分でもびっくりするくらいよく頑張った。
いつも仕事の事で頭がいっぱいで、娘の事を考えている様で考えていない。
見ている様で見ていない。
今目の前の子供を見ずに、いったい私は何のために働いているの??
本末転倒?
「ママはいつもウンウンしか言わないね!」と怒られて悲しくなって。
そんな時、いつも仲間の存在が私を支えてくれた。
そして安心して子供を預ける事が出来たからこそ、思いっきり頑張れた。
子供を通して、私はどれほど感謝を知り、人として成長と経験を積ませてもらえたのだろう。
出来なかった事も沢山あるけど、一区切り、よく頑張った。

孫の誕生祝いにやってきた母親に「立派なお母さんになってくれてありがとう」と言われた事。
子供の頃は悲惨な家庭状況だった我が家。
当人も「私は子育ては全然ダメだった」と言っている。
「それなのに、あなたはこんなに立派にここまで育てて、立派な母親になってくれてありがとう」
と言われた。
お腹の中にいる時からもう7年近く母親をやっている。
確かに私は母親になった、子供が私を母親にしてくれた。
そして私も見ていた。死に物狂いで働く母の背中をしっかり見ていた。
あの時の母の様に私は全力だろうか?
確かにひどい状況だったけれど、おかげで強くなった。
そんな母にしっかり感謝の行動を出来ていない事への情けなさ。

充実していた3年間、意義深い3年間、楽しかった3年間、過ぎようとする3年間。
ここまで自分が動揺している事に自分の涙で初めて気がついた。
去年の暮れからこの3ヶ月、自分で自分を見つめる時間を持てていなかった。
自分に心に背を向け、目の前の事を一生懸命さばいてきた。
結局そのツケが涙として出てきた。
このままじゃ一山超えれない、ここで一旦、深呼吸。

私の中の幼き私は、まだ卒園がしたくない。
少しここに書く事で気持ちがおさまるかなと思ったけれど、どうだろう??
でも明日から4月だ!
きっと大人の私は明日からまた目標に向かって行進を始める。
心の中の小さな私を置いてけぼりにしないようにしなくては。
娘と一緒に、新しい出会いに向かって歩き出せますように。

そして、お友達のみんなも一歩ずつ、立ち止まってもいいから、前を向いて歩いていけますように。
みんなとずっと手を取り合っていけますように。
